思うこと
こんばんは、ヨローです。
ちいかわ世界に入ってしまいちいかわに助けられる二次創作みたい。
ちいかわ世界で生き残るには正しい警戒心、協力協調性、知略、体力。人間世界かよ。
ちいかわはよく泣くけど泣いた方がストレスを発散できるのと、正しく警戒できるし先読みができるので恐怖を想像してしまうのだと思う。想像力が強いからこそ理想と現実でのたうち回るのだが、鍛冶場の馬鹿力を発揮しベストバウトも多い。
ちいかわ世界に行ってちいかわ笑って思ってたら、ちいかわに救われてこんな小さくてかわいいやつを馬鹿して自分を恥じたいですね。ちいかわ無能って言ってるやつなんなんだよ。精神面の火事場の馬鹿力はジョースター家並だぞ。でもちいかわは気づかずにハチワレを見てるんですよ。はあ。
ラストマイル 感想
こんばんは、ヨローです。
ラストマイルをアマプラで見ました。
以下感想です。ネタバレ↓
ドーパミン中毒なので展開の派手さがもっとないと視聴しにくいと思ったけど、ちゃんと自分が視聴すれば絶対面白い映画だとはわかった。己の力不足です。
デイリーファウストのオレンジは、多分Amazonが元ネタよな……………と見て思った。世界最大規模の運送会社なんてさ……わかってやってるよね。色合いだけでわかりやすく伝えている。
満島ひかり超顔小さい………。役柄ではバリバリに仕事ができるけど、あまりに仕事中心すぎて人間みがない……。と思っていたらだんだんとそれは仕事が忙しすぎて、お客様ファーストを盾にして自己を亡き者にして言ってるように思えた。
最後の言葉を使ってると言葉に支配される的な発言を見てそうだな〜〜〜〜ってしみじみした。大きな言葉を使っていくとそのうち自分に返ってくる。その言葉で自分がやった事でも己はやってないと思ってしまう。会社の歯車になってしまうってことよな。
多分誰もがちょっとずつ悪くて、一人ではどうにもならないから目を逸らし続けた。目を逸らしていたら、ずっと見続けた人間に復讐された。決定的な悪は存在せず、物流というものがいかに他者の手が加わっていて、当たり前のようにあるのは多くのリレーがちゃんと機能しているから。奇跡みたいなことがちゃんと機能しているのは規則と大企業ゆえの資本のおかげでもある。だがその規則によって人はいつの間にか縛られて理由を規則に押し付けて、規則はさらに規則の脆弱性に気づくことが難しくなる。
ベルトコンベアに流れる荷物、ブラックフライデーという人の欲望を刺激するセール、人の欲望の為に疲弊していく労働者、人の欲望が形となった商品が段ボールに包まれて日々物流センターにひしめいている。1日でも休むことすら難しい。
私は数日だけ物流センターで働いた事がある。仕事が終わった後、私はなかなかAmazonを使うのが躊躇われた。理由はその仕事が大変だったから。いろんな形のいろんな商品がずーーーーーっとベルトコンベアに流れてくる。今でも覚えている。仕事が終わってバスで駅に向かうのだが、そのバスから見える街灯の光と夜闇、バス内部の疲れ切った静かで仕事を終えてほっとした空気。
映画最後の止まることなく続くベルトコンベアは恐怖映像だった。恐ろしい、人の欲望の際限のなさ…。
最後のWhat do you want?は原作者の語りだ。あなたは何が欲しい?その欲しいによって人が苦しんでるのかもしれないよ?という戒め。最後に引っ掛かりを残さずに終える選択肢もあっただろうに、東京の街並みを空から俯瞰して大勢に問いかけるようなWhat do you want?
最後見た時に後味が悪いと思ったのは、めちゃくちゃ何気なく運送会社を使ってるからだ。過去運送会社で短期バイトしたことをふんわりと忘れ、欲しいものがあるからお金を払えばいいと思って使ってる。けれど、そのお金で払えるというものは幻想かもしれない。本当はお金で払えないものを、お金で払えると思い違いをして日々生きてるのかもしれない。そう思えた。
洗濯機がヒノモト製なのを見ると大量生産大量消費にも疑問の目を向けていると感じた。洗濯機の中に爆発物を入れたのは超ファインプレー!!
犯人が自演で爆発をキメたところが凄まじい絶望と怒りを感じる。絶対にやり抜く覚悟を感じた。だがそれに巻き込まれた人間は犯人を許さないだろう。無差別に人が傷つき、大元の運送会社のデイリーファウストは今でも存続するだろう。めちゃくちゃにリアルだと思う。最悪なのに、それ無しでは生きられない。それ無しに生活は成り立たない。物流とは人の生死をわける。物流の外にも中にも人間の生活が存在している。
自分にできることは物流センターやストライキがあったら応援したりカンパすることぐらいしか出来ないのかもな…とちょっと落ち込んだ。
爆発の描写がリアルで怖かったな…。
国宝 感想
こんばんは、ヨローです。
今話題の国宝を見ました!3時間近くある映画でしたが、飽きずに見ることができました。ドーパミン中毒でも見れる国宝を、見よう!!!
以下感想ネタバレ↓
映画見終わって感動して泣く………となかったです。この映画すごいな……めちゃくちゃ語りたいな……!!とは思ったのですが、感動した!という溢れる感情や涙は個人的になく、なんて身勝手で美しい男たちなんだろうと思いました。
何にも事前情報を入れずに見れて良かったです。
ため息が漏れるような呆れと美しさを感じました。そして可哀想だと思った。舞台でしか生きられないと思い込んでることが可哀想だと思ったし、可哀想に見えるほど追い求めることが出来ること自体強い地位でもあると。映画を視聴中に思ったことはなんて身勝手で美しいと思いました。男のエゴと女の献身の物語……とも思いました。
物語が二転三転するたびに悩ましく思う、誰が化け物か?誰が狂気を持っているのか。
化け物になった先に待ち受ける結末、美しい化け物になった過程、最後の演目で喜久雄は人間を捨て国宝になったのだと思った。最後の演目でここで国宝が………完成した!って思った。それがわかる吉沢亮の演技すげーってなった。顔いいのに頑張っててすごいな……。
喜久雄役吉沢亮の、人間を捨てて国宝になる過程やグラデーションの演技が素晴らしい。
俊介役の横浜流星の、元々才能あふれる人間が何かを得て流れ星のように命を消費尽くして強く輝く演技……。
私は俊介が先に歌舞伎の国宝に近づき死んで、喜久雄は最後の演目をやってやっと国宝になった。と思ってる。
個人的に歌舞伎への舞台の狂気は俊介の方が強くて、歌舞伎に対する執着は喜久雄の方が強いと感じた。同じ歌舞伎や女形を演じることに対する熱意はあるけど、俊介は連綿と受け継がれてきた歌舞伎に対する追求や舞台への狂気と血筋を感じて、喜久雄は歌舞伎に対して憧れを捨てられない執着と渇望を感じた。
そして私の予想なんだけど、万菊が演じた舞台鷺娘の色、青と白のライトが国宝になることの象徴であり、二人で演じた演目(俊介が足の傷を押してまで演じたやつ)の最後で俊介は青と白の光が顔にかかっている。言いたいことは、国宝になることは=美しき化け物になること、畏怖されながらも背筋に怖気が走るような美しさを演じること、そして人間を辞めることである。国宝の色とは赤や金ではなく、青と白になることだと最初盤に提示されていて、最後になって国宝になった象徴の色とは青と白だとわかるストーリーテリングになっている。つまり3時間のなかで何度も提示される同じシチュエーションだが時期や状態が違うことで、物語の進行具合と伏線でもあり回収要素でもある。
俊介は二人で演じた演目(俊介最後の舞台)で己の命を燃やし尽くして国宝になったのだと思う。そんな命を削って舞台に立つ俊介を見て喜久雄は奪う愛から与える愛と、国宝の匂いを感じ取ったんじゃないか?と私は考えている。あの時点で国宝は俊介で、喜久雄は国宝になった俊介を見た人間なんだ………。人間らしい喜久雄に演技の狂気を見せ続ける俊介。何度も何度も誰が美しき化け物になるかの見せ合いでもある。
万菊が喜久雄に最後に会い扇子を渡す場面では、ここで捨てる神あれば拾う神ありと感じた。万菊の目が喜久雄の背中のみみずくの目の色のような透き通った茶色をしていて、個人的に喜久雄にとってのミミズクは万菊だったのでは?と思えた。全てに捨てられた喜久雄(自業自得でもある)に、差し向けられた扇子という芸への道。つまりここで万菊の芸は喜久雄に継承されたのである…。と思ってる。
万菊の「美しくないものに囲まれると安心する」的な発言。そのままこの映画を見てる人間にも当てはまるのでは?とも思えた。市民は歌舞伎に熱狂し現在でも語り継がれる伝統芸能である。人間の娯楽を求める狂気が垣間見えた。そして美しくあることは同時に重荷でもあると。女性もそんなところあるやな……と思った。女形を極めた上で感じることは美しさは疲れるよね…。、
芸を求めた男の結末を見る限り、芸を求めることと家族の幸せは両立しないということ。こんな万菊という凄い人でもあんな寂れた部屋にいるの悲しい虚しいと思ったし、今後の喜久雄が辿る結末なのでは?とも思えた。喜久雄の楽屋部屋と万菊の部屋は対比関係にあると思ってる。胡蝶蘭と掛け軸と豪華な調度品がある部屋と、打ち捨てられて色褪せた壁と市松人形と安っぽいテーブル(あったかどうかあんま覚えてないけど机あった気がしてる)という侘しい4畳ぐらいしかない小さな部屋は対比だろこれ!!となった。
万菊役の俳優さんめちゃくちゃ演技上手い……。特に手招きする動きは女形を極めた優美な美しさがあった。物語も比較的読みやすいが細かいところを知ろうと思うとか複雑なので何度も見たい作りになっている。
家族の愛、血筋、恋人とその後の跡取り息子をもうけた俊介と、
家族はなく血筋もなし、長年近しい間だった恋人以外の女性と番い、女の愛情を取るだけとって捨てて生きている喜久雄……。
ケンワタナベが血を吐いた後シュン坊……って言った時あんまりだよ〜〜〜って思った。その後喜久雄が死ね…って言ったのは(正直うろ覚え)ケンワタナベに言ったのか………。それを見た万菊はどう思ったのか………。
歌舞伎を見ながら女が日々実務的なこと接客したりご飯作ったりしてて、そうだよな……って現実を淡々とこなしててそうだよな……ってなった。
最後喜久雄の娘が出た時、私はカメラマンの女性が出てきて目線を合わせて的な声掛けの描写があったから、(なかったらごめん。幻覚かも)なんとなくこの女性が喜久雄の娘だったら物語として綺麗だな〜って思ってたら本当に娘だったからびっくりしたしビンゴ😁って気持ちになった。こういう伏線回収の気持ちよさが国宝にはあるんだな……。
父親の喜久雄はずっと歌舞伎関連のことでしか娘に目線を合わせてくれないんすよ。そこでカメラマンになった娘がやっと父親と目を合わせられるってのが伏線にあったら綺麗だな〜って思ったので……。
娘が喜久雄のことをボロクソ言うの気持ちよ〜ってなったし言われて当然なんすよね。もっとボロクソに言われてもいいと思うし、こういう批判的な場面があるからこそ国宝はより輝いたのだと思う。
国宝としての喜久雄と悪魔に魂を売った喜久雄が対比になっている。多くの人は喜久雄を素晴らしい人間国宝だと言うけど、やってきたことはちゃんと当事者は覚えている。
ここで喜久雄の完璧な経歴は嘘であり、罪と女たちの生き血と涙を啜って得た地位だと言うことを提示している。喜久雄が娘のことを思ってた的なこと言ったけどあれ嘘だと思うんすよね。だって本当に娘のことを思ってたらメイク部屋の写真立てのなかに娘の写真はあるはずだから……(あったらごめん。私はなかったと記憶してる)
歌舞伎自体女性を排除して永続してきた文化であり、女性を舞台から降ろして繁栄してしまった歴史でもある。女性は次世代の後継者を作り周りを支える、いわば現実を淡々と生きることが役割として固定されてしまった。その侘しさとか悲しさってのを感じた。男性陣の人生の立ち回りの陰にある、女性の活躍も国宝は丁寧に描写されていると思う。だが、その女性が歌舞伎に対して「美しい」と言うことで、その文化ごと肯定してしまったような部分もあったと思う。
喜久雄の娘の役割は歌舞伎というものに対する民衆の熱狂と狂気。非日常を見せてくれる人間への崇拝と、非日常を見せてくれるからこそ、その部分で精神的に屈服してしまう感動の奴隷の部分。
誰もが日常がつまらない所があるから非日常や創作を愛する。創作の数とは非日常への渇望の数でもあるのか?とも思えた。娘は父親としての喜久雄は許せないけど、役者としての喜久雄はすごいと肯定している。
私は多くの女を苦しめて翻弄して捨てて綺麗になった喜久雄に出来ることは、綺麗なまま女の屍の上で舞い踊り、ずっと憎まれることだと思う。ずっと綺麗なまま憎ませることが喜久雄にとっての贖罪だと思う。人間を辞めてそのまま生きること、家族の幸せを捨てて芸に生きることしかできない人生を選択してしまった責任を取り続けることが贖罪だと思う。ごめんなさいもありがとうも全部遅い。国宝になって人間らしさを捨ててずっと生きろ。その舞台に固定されて、それしかしないまま生きることがお似合いだ。私は個人的に喜久雄は万菊のような最後を遂げると思っている。でもずっと続けてきた芸は体に染みつき、老いてもなお多くの人を魅了し続ける。そういう生き方をするしかない………。
国宝を見て、ずっと身勝手な美しさと幸せと不幸せについて思いを馳せた。幸せと不幸とは、薄皮一枚隔てたところにあるのでは?いや不幸からみた幸せは遠い場所にあるのでは?じゃあ幸せから見た不幸は薄皮一枚の距離にあるのかもしれない、と頭を駆け巡った。幸せがないと人は生きられない、不幸せだと生きられない。幸せから見た不幸があまりに薄皮一枚の場所に感じた。幸せになるために頑張るのに、頑張れば頑張るほど不幸せが隣り合ってるような、そんな苦しみがあるのだと。不幸だと幸せから遠いのに。相容れないものだと思う。
幸せだと失う苦しみが常に付き纏うからだ。失うのに得ようとする。けども、何もない孤独や侘しさに人は耐えられない設計になっている。得た分だけ失い、失った分だけ苦しみと何かを得てしまう。喜久雄は人間としての幸せ……というか家族と温かい関係を築くことを放棄して国宝になった。得たのは長年恋焦がれてきた景色。美しい桜の花びらが夜闇に散る風景、花火のような瞬き。
男たちの身勝手な美しさは芸を極めようとする姿、執念、舞台上での美しさ、女性「らしさ」の美しさ、とにかく吉沢亮と横浜流星の顔面が綺麗すぎた。
俊介が喜久雄の目元に紅を入れるシーンの俊介の演技にうるっときた。俊介の持っているからこその余裕と優しさを感じた。最初から持ってる人間ってこう………優しいよな…と落ち込んだ。
自分がうるっときたシーンはだいたい俊介だったけど、いつの間にか涙がぽろっとしたのは最後の喜久雄の演目鷺娘を踊ってる時なんだよな……。
俊介が泣きそうになってると自分もうるっときてしまう。演技上手いなと思った。
喜久雄はずっと綺麗な景色を見続けたい思いで直走った人生だったと思う。今後もそのまま綺麗な景色を見続けてほしい。
春江については可愛いと献身としたたか……って気持ちがある。
途中で春江についての他の方の感想を見て、ああああ〜〜ってなった。春江は春江なりに喜久雄の目に映りたかったけど、映れなかった。その悲しみと俊介の 喜久雄に敵わないって感情が結びついて重なったから結婚したのかなという感想みて、春江ごめんよ……ってなった。自分は傷心の御曹司に付け込もうみたいなところあったんじゃないかって最初思った。でもそれにしては7年間大変な俊介を支えたもんな……。春江ごめんなさい…ってなりました…。
みんな演技派ですごいよかった。小道具も綺麗だったな。
追加 途中から喜久雄のこと喜久蔵って書いてた。一応直した
イルカの肉があったから煮物にした
こんばんは、ヨローです。SNS規制されるって?!
昨日イルカ肉の煮物をつくりました。なぜスーパーで買ったのか。食べてみたかったからです。
結構えぐめな言い回しをしてるので、なんでも許せる人向けです。
レシピは
↓
https://cookpad.com/jp/recipes/20417268-イルカの煮込み
ちなみに3回は水から煮て臭みを比較的とった。
イルカの肉は赤くまな板に乗せるとベッタリと血で潤っていた。ひたひたじゃなくてベタッとした血が身全体を覆っていた。
切るとベタッサクッとした切り心地であり、最初はベタベタした身を触ったら初めて触る肉なので慣れなさにゾワッと怖気が立つ。身を触ると手が真っ赤になった。血の匂いは個人的にだが経血みたいな感じがした。純粋な血だけじゃなくて血と何か体液が混ざった匂いがした。切り心地は良かった。
身を切り終わると表面と白い脂身?はザクっと感があり、こちらの方が切ってる感覚が良かった。
1回目の水煮は灰汁が多く出た。ピンポン玉3個分灰汁がでた。3回目でやっと灰汁がなくなった。
3回も煮ると色は赤黒く身が引き締まった。
キャベツ、にんじん、ぶなしめじ、生姜3かけを入れて 味醂、料理酒を加え沸騰後に醤油。40分ほど煮た。
味の感想。
恐る恐るイルカ肉を食べた。食べ慣れてないので背中と喉がゾワゾワする。醬油と味醂の甘く濃い匂いがする。味醂は安物なのでベッタリとした人工的な甘さがした。
肉はマグロの醬油煮を生臭くした味、感触はすこしぬとっとしている。煮たマグロのほろほろ感はない。食べ慣れてないからゾワゾワする。美味い!とは言い難い。
イルカ肉という先入観があるからかもしれない。
魚と肉の中間の感触がする。にんじんの甘み、薬味の青臭さで紛れる。
自分の口には合わない。だがお酒を飲む人は好きな味ではと思う。日本酒と合わせたらもっと違う風になるかもしれない。
また明日食べてみよう。
食べた。昨日よりは味が染み込んでいて食べやすいが喉を通らない。日頃食べているものは臭みを取り除いたり食べなれているものだなと感じた。うすらとイルカ肉の油の味がした。独特だった。飲み込むために咀嚼回数が多めになる。低層の油の匂い。
味は王道の醤油煮込みの甘じょっぱいだったが、肉と脂が醤油と合わさってない。
醤油→
脂→
こんなかんじ。合わさった旨みではなく、違う層に醤油も脂もあってハーモニーを感じない。味醂がまずかったのかもしれない。
野菜は食べられるがイルカ肉の脂が思った以上に絡まっている。
食べれなくはないが、食べ慣れてない味だし正直口に合わない。生姜やネギがあったから食べれたところがある。噛むと魚のほろほろ感が出るが奥に生臭い匂いがする。先日よりは味が染み込んでいるので生臭くはあるが軽減されている。
食欲をそそられないのだ。口に入れたい味ではない…。だが食べる。命だし調理して食べないってのはなんかもったいない。
自分の口に合わなかった…。そしてイルカ肉を上手く調理された料理を食べたい…。そしてどうやって下拵えをしたのか詳しく知りたい。
家人の反応は食べれなくは無いだったが箸は進んでいなかった。家人たちは食に対して保守的であり一つ不味そうと思ったら手が止まるタイプだ。自分もそうであるけど。臭みと思ってたものもかなり抑えられたものだったんだと。
もっと美味しいイルカ肉の食べ方ってあるかな。下ごしらえがもっと出来てたらな。次使うならもっと灰汁をとる、いい味醂を使う、別の調理方法を使うだな…。
今までの食はかなり舌の安全方向気味だったのだと感じた。鶏肉とか豚肉って美味いんだなと思う。たまに牛を食べると身体が喜ぶ感覚がある。
イルカを畜産の観点で飼育してるところは見たことない。だから自分に合った食べやすい肉という観点はイルカ肉にない。畜産って人間に合わせた味だったんだ………。
人間の美味いへの欲望と探究心と持続に感謝。そして今後農業や畜産はどうなるんだろうかと不景気なので思いを馳せた。
久しぶりに日記を読み返した
こんばんは、ヨローです。
久しぶりに日記を読み返したら、ずっと厨二なんだなと感じました。本当に恥ずかしい。文章がイキッた人間で恥ずかしい。ずっとこのままなんですかね?自分切迫した気持ちにならないといけないよ……。スコーン作ってる場合じゃないよ。
自分の性癖を見直してみる。
こんばんは、ヨローです。この世は地獄みたいだけど生きたいから生きる方向にいく。
性癖となると色々ありますね。オタクにおける性癖とはこれ好きポイントでかつ性的なニュアンスを含むことが多いです。辞書では性癖は性質や癖といった意味合いを持つが、よく使われているのはフェチズム的な性癖という使い方のイメージです。
個人的にヤンデレものが好きです。危険で他者に翻弄されることにフェチを感じることが多いです。現実では危険なことも、創作によって安全に体験できる楽しさがありますしスリルを感じるからです。
ですがここ2.3年、その性癖のメリットデメリットや危険性を理解して愛好しているのか疑問に思えてきました。自他境界ぼやぼやな人間がヤンデレを摂取することで何が起こるかちょっと立ち止まって考えてみたい。
pixivの恋愛小説をよく読むのですが、愛されて♡やハッピーエンドといいつつ、これはモラハラDVエンドやんけ……みたいなものがあります。
よくヤンデレものには、主人公を監禁して快楽堕ちエンドがあったりしますし、ヤンデレ男が嫉妬により夢主の行動が制限されてしまって身動きが取れないシチュエーションがあります。そのほかには不安により主人公やその周辺の人々を傷つけるヤンデレなどなどあります。
こういったヤンデレものに対して愛されという言葉にすると甘いラベルを貼ることは危険だと思います。気持ちはわからんでもないですが、この行為が愛されというよりはヤンデレ男の強行や理不尽さと暴力や傲慢さが性癖やフェチに刺さってるとちゃんと自覚したい。正直こんなん愛というよりは執着だと感じる。愛されものではなく、執着ものを愛好してると自覚しながら読んでいきたい。
上手くいえないけどモラハラ加害DV行為を愛されと思っても創作物を摂取したくないし読みたくない。
追記 これ抜いた後に書いた文章すぎる。