ヨローの雑記 

雑記 自分の脳内の声との戦い

悩むことをアイデンティティにしたら

こんにちは、ヨローです。

動いてないのに動いてる感じがあって、はあ?って気持ちです。動いてるけど動いていない…

 

悩むってことをアイデンティティにしている節があります。抜け出したいのに。悩むことなんて誰にもあるのに、悩んでいる=深く考えられてると紐付けされている節があり、どこか優越がある…と感じてます。

悩んでもパッと結論を出してすぐに行動できればいいのですが、今の私は行動することが億劫でめんどくさくて怖いという感情面でなかなか行動することが出来ずにいます。恵まれていると同時にもどかしさもあり、自立している人からみたら羨ましい環境かもしれません。けど妙に辛いと感じ、人に苛立ちを表に出したり労ってくれと無言のサインを送っているところがあります。こんな人間になるはずじゃなかった……。

けどあれですよ、できない理由を探したらできなくなっちゃうからな…。

自立というのは多くの他者に適切に依存をしている状態と思っているので、いまは依存先が少なくて親に助けられているのにどこか苛立ちがあり、かつ何にもしていない自分を責めてまた虚無感に襲われて何にもしたくなくなる。先延ばし癖はやめた方がいい。お風呂も入りたくないし部屋が汚くなっていても構わない。自分を痛めつけて痛めつけてダメだと烙印を押し、そんな自分を他者に認めさせたくてたまらない。他者と比べては他者をダシに自分のできなさを誇示する。これしかないダメな部分しかないのだから良い部分などないのだから、だからこそダメな部分で人と繋がろうとする。

あかーーーーん(宮川大輔)!!!あかんでぇ〜と思う。二次元だったら依存美味しい!!ってなるけど、残念ながら三次元に生きてるから。多分。

 

なので私が鬱っぽい人を見た感じ、自己規範が強くあり真面目でいて自分を責めちゃいがちで、友達とかの第三者に頑張ってるねって言われるとほんと泣きたくなる人が多いと思う。人の話を否定しがちだったりとか。なんか可哀想かもしれないな。

自己を多角的に見れない状態が鬱につながっていると思っている。視野が狭くなっているというか、ダメな状態しか見れないとか…何かできても人と比べてしまいがちだったりとか……。

自分のなかのストーリーでは私はダメダメだという認識があり、他者に褒められたり肯定されることはストーリーの否定でもあり、劇場が壊れることでもある。決められた台本に急に知らない人が割って入った感覚で、コントロールできずカオスな状態。

個人的にできないには苦しさと同じくらい快楽物質が出てる感覚があり、なぜかというと出来ないということは変わらずにいてもいいと担保される感覚があるからだ。個人的に。

色々とSNSじゃあ変わる方が変わらないより辛いというのはまあ理解できるけど、同時に変わらない苦しみも尊重してほしいという気持ちがある。甘えかもしれないけど、私がもし何かを克服しても変わらない苦しみを蔑ろにしたくないな。まだ人生経験が浅いからそう思うかもしれんが…。うーーんまてよ。もし人に変わって欲しいと思って尽力して変わらなかったら虚しいな。でも変わって欲しいって結構な要求でもある。どこまで相手と意見のすり合わせができるかによるかな。

変わるって力がいるし大変だと思う。けど変わらないも貴重な力であると信じたいな。なんかだんだん今の状態の肯定に思えてきた。そう思うから変わらないのか?

いつか人生が下手なことが誰かの救いになればいいな。唐突に思った。ちゃんと失敗したいな…失敗できないとそれはそれで辛いな。転ばないと痛みをしれずに立ち方もわからなくなると思うから。痛みにも知った方がいいものと知らない方がいいものがある…はず……。