ヨローの雑記 

雑記 自分の脳内の声との戦い

なんとも言えない気持ち

こんばんは、ヨローです。この気持ちはなんだろ〜この気持ちはなんだろ〜

 

はあ〜〜〜なんとも言えない。言葉にすると自分は甘えてる…ってなりそうで…誰も悪くない空間だけがあるってかんじで。自己防衛だけは得意なんだよ!!!はあ!!!雑記書いてて思ったけど甘えというワードを私はよく使うなあ。言葉をおっきくして事実をぼやかしている感覚があるな。

ええ〜〜もうなあ、嫌じゃないけど重いと感じる。胸の奥あたりとか表面が重く感じる。重しがあるかんじ。決めつけがとてもあるので、相手にお前お前お前〜って批判してもそんな自分も決めつけてるのでお互い様じゃん……となる。

 

ほんとはね!!ネットやらずに!!!早く寝た方が10000000%といい!なぜかというと、ざわざわしている時に考えてもいつもの癖だと落ち込んで起きるの遅くなって日の光浴びるの逃して体内時計が狂うんよ。

寝るの難しい〜のび太がすぐに寝られるの最強の特技じゃん。

 

言葉という容器に感情を入れると、なんかあってないな〜と感じるけど、その合ってなさを見つめられたらとか感じられたらと思う。

かなりの期間、仕方がないとか笑うことや喜ぶことや苦しいことをちょっとずつ押し込めて生きてきたから、もやもやすることをモヤモヤする〜と本気で思えなくてどこか俯瞰というか遠くに在る感覚がする。それは距離を置いて触ろうか触らないか迷ってる感覚でもあり、こんな子供っぽさを自分は持っていて恥ずかしいという自己意識も働いている。結論をつけることも苦手だから早く結論を出したいとも思うし、結論をズバッと出している人に対しての気持ちもある。なんだろうか…規範がある人に対してそうやって感情を処理してきたのかというある種の決めつけがある。いやその人のことよく知らんのにな。こういう思い込みの激しさと付き合っていくと思うと、めんどくささが影のようにまとわりついているようで辟易する。そしてこの言葉すら飲みこんで、思い込みの激しさは無意識のうちに生活の中に流れてこんでいるのだろう。自分が知覚することができるのはほんの一瞬だったり一握りだというのに、全てを知った気になっているところがある。ほんの一瞬の知覚があまりにも素晴らしく全能感があるからかもしれない。いや一瞬なのか?と文字を打っていて思う。チラリと見えた私が欲しい現実の幻想は甘くて美味しい。幻想を持ち生きていると思ったって書かれているのを読んだって、その場のリアル感はいつだって正しいと感じさせるほどの物量があると感じる。肌感覚というか、これは大切なのだという確信はどんな言葉での説得よりも大きい。私が思う正しさを持っておきたい。多幸感でもある。私は大丈夫だとすとんと思える期間、時間。ボーナスタイムとも言える。マリオのスター状態だ。

私は覚えている。本音をちゃんと人に伝えられ、かつちゃんと聞いてくれた時の嬉しさと、その後自転車を漕ぎながら帰った時の空気のおいしさを。肺に空気がこんな入るのかと感じた。周りの景色が一段階明るい。こんな全能感を手放したくなくてなかなか寝られなかった……気がする。思ったことを言って受け入れられる人は、こんな気持ちいい感情を日々享受してるのだろうか?と思うと羨ましさが募った。妬ましさともいう。

こういう奴が欲に溺れたら大変だと思う。

 

本気で何かを思うことも訓練が必要なのか…と感じる。反復を忘れたら忘れる。当たり前だけど、感情すらも練習あるのみなのか?と妙な心地だ。

 

なんか早く寝ろ寝ろってかんじだ。本当だよ!!ああああもうやだなあ。本気になりたいってか限界を超える練習をしていけたら〜と欲望が湧いた。何かしたいばかりの人生だし何にもしてない人生でもあるが肉体はちゃんと動いていて息をしているから、やっぱ動いている。動いている感覚がないことが、苦しさの要因かもしれない。

疲れた。