ヨローの雑記 

雑記 自分の脳内の声との戦い

焦りと罪悪感

こんばんは、ヨローです。

 

不満が少ないと書くことが少ない。というか投稿することがめんどくさくなってゆく。何にもしていないと不安でぼーっと死にてーななんで生きてんだろ?と頭の中を埋めている。思考の隙間を卑屈な感情で蓋をするような脳の癖がある。

落ち込んでいないとあ〜きたきたよ〜無視しようというか気を紛らわせようと息を吐く。息を吐き出して吐き出して今を感じることを集中する。

生活に自分が合わせる様に生きていきたい。志も何にもないし、ぼーっと生きていけたらいいのかもしれない。けどそれは欲があるのに欲がないふりをしているようだ。

死にたいってよりは焦りって言葉の方が合う気がする。焦ってるのに実行力がない。なぜかというと恐怖感があるから。時間の概念が曖昧なのでどうにかしたい。

幸せが100%だったらいいのに、色んな気持ちが混ざったりあったりしてどこにも振り切れない。

楽しいと思っていても砂粒ぐらいのめんどくささがあって、苦しさの中にどこか高揚感がある。

表裏一体という言葉を作ったひとは、頭がいいなと思う。どんな言葉も意味も裏があって、良いところも悪いところもある。完全なるものがないから苦しいけど、完全ではないと認められたらそこから楽になれそうだ。足掻いて疲れて諦めた先にあるものは、思っていた以上に気持ちが軽くなるのかもしれない。私はずっと天狗な気持ちだったけど思った以上に何にもできず実力もないし実行力もない。現在はそんな感じだ。ただ意味もなく生きていたいと願うだけだった。これも卑下だろうか?

楽になるまでには苦しさが必要なのかもしれない。筋肉の様に負荷をかけ継続をしていけば、今まできつかった負荷がある時から負荷じゃなくなる瞬間がくる。苦しさに耐えられるほど先を見る力もないし、何より痛がりで少しの傷を拡大解釈している。少し転んだことを奈落の底に落ちたと感じる様に。

苦しさも変容するもので、苦しさで止めてしまうから苦しくなるのかもしれない。痛みが当たり前だと思えるまで継続できたら痛みを再解釈できるのかもしれない。

パワハラとかDVとか恐喝とかの犯罪に対してはノーだからね!!

というかめちゃくちゃ痛めつけられたりしたらそれは絶対に違うから!!!

痛みというのは精神的ダメージのことを言っている。特に私は過敏反応しやすいタイプなので、痛みを痛み以上に解釈してマジカルバナナ化されるのが得意。なんなんだよ〜!!!

 

ただ生きてるだけでえらい!!!と言われると腹が立ってしまうけど、けどやっぱりどこか生きることを受け入れたいというか肯定したいというか、生き方として生きること自体を肯定する人間になっていたい。

身体の状態が脆弱であったら悩みは違うものになっていただろう。

言葉や定義や意味が増えて、選択肢が増えて飽和している現代で生きることは、多くの光を見続けながら暗闇を生きる様なものだ。光ははるか遠くにあるというのに、手を伸ばしたら掴めそうだ。遠くで輝く星よりも手が届きそうな光に、好意と嫉妬が首をもたげる。ふとした言葉を相手に向けて放ったら思った以上に反応が返ってきたり、遠くて近いからこそ欲が湧いていく。電子の板ごしは匂いも目線もなくて、どこか現実と離れているように感じる。私のような私じゃない幸福な人や恵まれた人を簡単に見れるこの社会は、お前はこのままでいいのかと囁くようだ。知らない価値観や忌避してしまう価値観がごろごろと小さい電子の板で観測してしまう。私はネット中毒者だ。良くも悪くもミームを持ってぽろりと思い込みを吐き出す。

何が言いたいかというと、知らない世界を知れるからこそ自分の小ささをすぐにわかってしまうのは、きついじゃないか?ということだ。そしてネットを通してだとぶっちゃけることが出来ると思ってたけど、もうネットは現実の一部のツールであることだ。

一番だと思っていたら更に上がいるなんてきつい。探したらもっと情熱も行動力もある人がいる。はあ?何なのこれ?

個人的に人間はこれは私が一番と思えるものが、時期が必要だと思う。

なんか話が逸れてる気がする。マジカルバナナの力とはこのことよ…。

なんだろうな、ネットをしない恋人がもしいたら最高だなということだ。