ヨローの雑記 

雑記 自分の脳内の声との戦い

気分と思考と感情は違うらしい

こんばんは、ヨローです。そらそうだろと思いますよ、だって違う言葉になってるんだし…

 

今日の朝気分が悪くてもうだめで〜〜〜す、みんな消えてくれ〜〜とか私はもうだめだ…と思ってたのですが、服を着替えて歯を磨いたら、そんな気分は薄れていきました。被害者意識が酷いときこそ、他責意識がつよいときこそ省みる必要がある。そうしないと気分と感情がしっちゃかめっちゃかになって更に消耗する。

自分を支配していたのは気分であって思考じゃなかったのかな…と思えてきた。卑下するのもめんどくさくなってきて、悲劇のヒロインになるのをやめたいと思えていて、人にどう思われるかすごく今も気になっているけど、だんだん前よりは全然ましかもしれない。そうだと思いたい……。

 

今日も自分のことをどう思われるか気になって仕方がなかったけど、そんなところを俯瞰してはまだ見れないけど、あ!いま自分のことでいっぱいだ!と気づけた。だんだん人にどう思われようともいいかな〜と思えるまでになるぜ!!おら!!

自分のことばかりな時はもうアホを出しながら人の話を聞き、最低限の礼儀をしつつ思ったことを垂れ流した方が楽だな。相手に任せる!!もっと気楽になりたい。肩の力抜きたい。

 

自分のことを考えない瞬間が、幸せなのかもしれないなとふと思いました。自意識がぱんぱんだと自分のことで頭いっぱいだからきついんだ…。なるべく自意識を薄くしていけたらいいな。流れに任せるんだ………。

 

 

これを書いて読み返してみた。気分を変えるのもその時の自分がまだ余力があったから出来たことであって、余力がなかった場合はどうなっていたのかなと。

不完全な人間が作るものは全て不完全であり、完璧だと思えるものがあるだけなのかもしれない。完璧に見えるものを崇める時こそ、安寧があるのかもしれない。不安定で運要素もあって生まれも性別も決められない。頭脳も親の遺伝子によって決まるとも聞いたことがある。ほんとかどうか分からないけど。不安定で何が起こるかわからない世の中を生きるのって怖すぎる。けどわからなさを楽しさに変換できたらすごいよな。怖いよな…