ヨローの雑記 

雑記 自分の脳内の声との戦い

承認欲求の肥大

こんばんは、ヨローです。

 

 

急になんですが、美味しいも美味しくないも食べてみてからわかることであって、食べたけどあまり美味しくないみたいなのは、手に入れたから気づくことであって、手にいれたいものがしょうもないものでも手にいれないとわからないままなのが、歯痒くもあり、そうだよな…という薄い納得もある。

何かに拗らせている状態ってのは手に入らない状態が続き、欲しいものが欲しいもの以上の価値に見えてきていることなのかなと。羨ましいも手に入らないから羨ましく眩しく嫉妬に繋がるほど欲しくなる。手に入らないということはそのものの理解度が低い状態なのかもしれない。手に入れば解像度が上がり、いい点以外の悪い点も目に入る。

だから手に入れた人の言う「そんなにいいもんじゃない」は、本心の可能性が高い。けど、手に入っていない側からすれば、欲しいものをいいものではないというから私の場合は馬鹿にしてんのか?見せつけてんのか?と思う。性格が馬鹿にされたくないが中心だからしんどい、やめたい、やめよう…。馬鹿にされたくないが主軸だと馬鹿にする人間の思い通りになってしまう……。

だから結局は欲しいと思ったものは早めに手に入れてしょうもなさを体験しない限り、ショーウィンドウの中にあるキラキラしていて手に入ったら全てが変わる夢のものだと思いがちになってしまうのかも。

しょうもなさというのは、手に入ったら輝く自分が手に入るとか、ガラッと世界が変わるとかの一気に変わることであって、そこを夢見てしまうと手に入っても変わらないことに違和感を覚えてしまうのだろうか。

何かガラッと変わって欲しいと思いながら何にも変わらない自分に嫌気が差していた。今もそうだ、ちょっとずついや後退する自分が嫌なのだ。

 

ハロワが怖くて行けなかった時、勇気を出して行った。夏の暑さと建物の冷房の冷たさが身にしみた。めちゃくちゃ怖かったけど、笑われるとか考えたけど、思った以上にハロワに人はいて親切にしてくれた。私は待ち時間に長椅子に座りながら仕事をしている人をみた。

自分は馬鹿だと思ったし何をみていたのかと思った。わたしの妄想はほんとうに空想で、思い込みの激しさが恥ずかしかった。本当に思い込みが激しかった。  

ハロワに行って何にも変わらなかった。ただそこには仕事をしている人がいるだけだったし、仕事を探す人がいるだけだった。けっこう人も多くてびっくりした。自分だけだとおごっていた。世界の中心が自分すぎて気づかなかった。付加価値をつけてびくついていたのは私だ。私の精神が醜いというか、人を馬鹿にしたり勝ち負けで考える浅ましさがあるだけだった。こんな自分ばっかりだからか……とすら思えた。

仕事を探すことも辞めることも始めることも、全部特別なこととかじゃなくて当たり前にあるもののなかにあって、上手く言えないが別に当たり前のことだった。当たり前のことを恥ずかしがって絶望して見栄を張っていたのは自分で、ハロワの職員さんから見たらただの職を探している一人だった。自分のこういうところが嫌だ。一生付き合っていくしかないのだろう。

室内が灰色と緑が混ざった落ち着いた色だった。