ヨローの雑記 

雑記 自分の脳内の声との戦い

薄れる感覚とか

こんばんは、ヨローです。

 

なるべく死にてーと思うことが薄れていて、なんだろうか……死にてーと思う時間を減らして違うことをしていけたらと思う。今はそんな状態です。秋の空の様に気持ちが変わっていく。

 

人の目を気にしたくないな。なるべく人の目を気にしてないフリをしている。自分がどんなことをしても身構えずに誰の許可を得ようかとか考えずに。何にも考えてないのに考えたいけど、どこか自己流だから何かがはまらない。

ブルーピリオドを呼んだら好きなことがわからない自分ってなんか寂しいなと思う。好きでもどこか上手くないとかつくってないとかモヤモヤして、好きってなんなのかわからなくなる。わからないし好きなものってあったったけ?って。

自分は他者から否定意見を言われたら悲しかったり腹立たしかったりしたし、今もそうだけど、否定は否定なだけであると思ったらちゃんと聞かないとなと思った。人の脳と共有はできないから、ちゃんと意見を聞いて違いを味わいたい。身構えて身体が疲弊してそして否定されたら更に苦しくてたまらなくなって、反射で反応して相手を尊重することが出来なかった。だから否定されても意見をちゃんと聞いて、ただ違う意見を噛み締められたら、自分の意見も相手の意見も大切にできるのかもしれない。

 

相手に肯定されることばかり求めてしまっていた。だからこそ身構えて勝手に苦しくなっていて、自分の首を絞めた手じゃなくて、苦しくさせた相手を憎んだ。けど絞めた手は視界から入っていなかった。

肯定されることがあるなら否定されることもあることを、受け入れたいと思う。たまらなく怖いけど。否定されても気持ちは揺るがなくてもよくて、ただそうなんだって思えばいいだけだ。それが私の思考回路の一部になっていくと思う。へーそうなんだ、ただ否定も肯定もそんなもんだと受け入れたい。肯定されて褒められて否定をしてしまったことが多かったけど、相手からそう見えるそれだけなのだから受け取っていけばいいと思えた。その人からはこう見える、違う人からはそう見える。人間は多角的だと知れたから、私も多角的に見られることを知った方が今後も楽しく生きられると思う。その人からみた視点ってだけで、褒められてこんな自分は褒める様な人間ではないって言わなくてもよかったんだ。ただ視点が違ってそう見えたんだな。違う視点だなって。悪意を持っていう言葉は受け入れずにしたいな。目的が心を折ることだから。けど否定されて落ち込んでもいいけど、すぐにやめますってならなくてもよかったんだな。今も否定されたらすぐに辞めてたけど、辞めた理由が相手に否定されたからだけじゃなくてその意見を聞いて考えた結果辞めるみたいな、思考のプロセスをしたいな。どこか私は責任の所在を相手になすりつけないと保たなかったのだな。

痛くなりたくないと思えば思うほど生きる感覚がなくなってゆくなんて何なんだ。

 

昨日友人と会った。なるべく相手と自分を比べずにその場を楽しむことを心がけた。人の気持ちを考えすぎないようにした。私の考えたその人の気持ちは所詮私のバイアスがかかっているから、思ったことを言って話を聞いて、ただいるだけをした。相手が傷つくとか悩まずにやりたい事をしたらあまり疲れなかった。私といるだけで楽しいとは思わないけど、とにかく自分が疲れない様にした。何を言われてもいいように身構えないようにただぼーっとした。疲れることはしない。それだけだった。つまらないと思われることが怖い、高い自尊心を傷つけられるのは御免だ。そして卑屈カウンターが強くなった。

自分のできる事をするしかないのだと思う。けどその考えも裏があって完璧に正しくなんかない。できる事をする、となると出来ないことはしないことでもある。極端だけど……。世の中に関心を持ちつつ自分のできる範囲のことをしつつ生きていけたらな。

どんな考えも隙があって批判があると思うと、何にもしたくないと思う。けどそんなもんだと思えたらいいな。