ヨローの雑記 

雑記 自分の脳内の声との戦い

やらかした

こんばんは、ヨローです。

 

死にたいとはそんな思わなくなってきたけど、ただただ自分のクズさと向き合わなくてはいけない所がだりーなって気持ちです。

まじでクズではなくてかなりクズ。まあまあなクズ。

お金を騙して奪うとか人のものを奪うとか暴力を振るうとかじゃないけど、人に信頼はされないだろうなという行動をしている。

連絡の返信が遅いとか会う日にドタキャンしちゃうとか。ダメダメというか、自分の痛さばかりを優先している。自分ばかりが痛いのではないしむしろこっちの影響の方が痛いことがほぼなのに。

もういっそそういう信頼とかは考えずにしてしまおうかなと思う。けど、それをしてまでの魅力も人間性もないので、社会規範に則って生きた方がましだ。レールの上を歩く人間は偉い。レールを作る人間は偉い。レールの上を歩くことも作ることもしないのにただ怖がって人を馬鹿にしてる人間は、何にも人に言わずに生きればいい。人はいるだけでどこか影響してしまうのなら、変に突っ掛からずに挨拶と返事と叱られた時にあまり拗ねずに落ち込まずにテンションを保った方がいい。飲み会もたまに行って人の話を聞いてこっちも話せばいい。気持ちだけあるのに何にもなれてない。

けどそんなに落ち込んでいない。わからない。ただクズな自分を見るしかない。自分を傷つけても無駄だったのだから、もう開き直ってしまおうかな。自分のクズさに慣れた。

だんだん無敵な人にならない方法は幸せの追求だと思っていて、どこか満ち足りていたらいいのだと思う。小さな心地よさをいっぱい持っておきたい。人と比べずにただ社会的に逸脱しない範囲内での幸せを享受したい。でも幸福が人や生物を傷つけるものだったとしたら悲しいね。生き物を傷つけることでしか幸福感を得られない人間に生まれてしまったら、この社会じゃさぞ生きづらいだろうけど、だからといって生き物を殺してもOKとは思わないし。そういう性質に生まれてこなかったのは運でしかないからな。あと環境。

 

いつまでも正気でいられる可能性はないのだから、今のうちに正気があるうちに何かした方がいいと思う。認知症にならないという保証はないし、正気でずっと生きられる保証がない。悲しい。

欲しいものを買えなくても今はそう思うのであって、いつかあん時買わなくてよかった〜と思うかもしれないし、結局後出しジャンケンなんだ。悔しいね、悔しいよ。やったことが失敗か成功かは今の自分の判定で決まったり人の意見を聞いて変わったりと流動的なんだ。1日経ったら変化してるのかもしれない。のたうち回った苦しさは、いつかあの時の苦しさがあったから〜と言える時が来るのかもしれない。わからない。わからないから怖い。こんな不確定な毎日を過ごしていることを死ぬほど怖いと思えない自分は、もう楽天家すぎて失笑してしまう。

ぼんやりこえーなと思う。視界が霧に包まれていて、不安の正体が目の前で急に輪郭も色もわかったら泣きながら食べられてしまうのだろうな。緊張感がないし何とかなるっていう、現状維持に執着している人間だから。

というか霧をつくっているのは誰なんだ?私なのか?そうだと思う。霧の正体を誰かに委ねたから、私はこんなに空っぽなんだ。けど委ねた意思は必ずあるから、委ねたものを取り戻したい。というか委ねた自分を自覚したい。精神的にチクチクするよ。

現在部屋が汚いです。

 

↑開き直ってもやったことは取り戻せないぞ…