ヨローの雑記 

雑記 自分の脳内の声との戦い

思うことをまとめる 考えるってなんだろか

こんばんは、ヨローです。寒くなりましたね、もう体の末端が石みたいです。

 

 

 

 

私は昔人によく考えてるなと言われてそうかもしれない!と、悦に浸っていたのですが、もうそんなに深く考えてないことを認めるべきだと今日思った。認めるし知るべきだと。

自分のしている行動は衝動的で環境の影響を考えないし、衝動性をなんかいい感じの自分に都合がいい理由に捻じ曲げて取り繕っていると感じる。

人に親切な対応をされたのに、気持ちを無下にしてしまったりしている。どこか冷たさを感じるし、自分が思い描く自分との文字通り温度差を感じる。酷薄だと感じる。

優しくありたいというのも、結局は誰かにそう思われたい見栄を張りたいだけなのかもしれない。人の目に映る「映え」を気にしている。

人のことを考えなさすぎなのに、人に優しくされたいと思っている。今もずっと割に合わない対応を「誰か」に「漠然」と求めていたのではないか。

 

自分の性格の悪さをずっと憎んではいたけど直そうとはしなかった。人間の本性が行動に現れるとするならば、私は憎んではなかったのか。ただ思うだけだったのだ。それが悪いというよりは、事実として横たわったいる。ただ思うだけの自分は憎みながらも生きながらえて、いまなんとかしたいなあと漠然と思っている。性格が悪いから部分的な改善点を知りたいと思う。なんかこういうのが自分にとってのオナニーなのかもしれない。

 

性格が悪いで全てを覆い隠している感覚がする。汚いものは見たくない、潔癖で完璧でありたい怠惰な人間だな……。

 

性格が悪いのではなく、性格が悪いと思ってもなおそうとは至らずできないとただをこねる事こそがあかんのではないか。

 

この性格を改善するとは行動を改めることでもあるから、エネルギーがいる。しんどいもあるけど一番はめんどくさい、これです。私の場合は腹が立つし苛々するし家族に当たりたくなってしまう。誰かのために自分を変えたくないと思っている。けど、母の悲しそうな顔を見ると、そんな悲しませてまで曲げない自分なんてあるのか?と思った。そんなに自分のことが大事、大切なの?ならなんで自虐も卑屈も多かったんだ?できない自分が好きなのか?そんな単純なものなのか?それとも単純な自分が恥ずかしいのか、ペラペラで中身がないと思われたくないのか。

どう思っても最後の最後はこんな考えの自分が悪いに行き着く。でもそれはまあ恵まれているとは思う。誰かが圧倒的に自分を支配していたのなら、自分が悪いとは思い難いと思うし。どうでしょうか。

 

過去を思うと恥ずかしいし、なんでこんなことしたの?馬鹿なの?と思うことを思い出して死にたくなる気持ちでいっぱいになる。けど生きますぜ〜。死にたいは私をいっぱい救ってくれたのかもしれない。死にたいで私は拠り所をつくってなんとなくは生きれた。現実に足をつけてるかんじがしないぐらいには経済状態に不満はなかった。だから私は思った以上に恵まれていると思う。他者からそうか?と思われても私の解釈的には恵まれている。

 

ズボラなので質量にこだわるよりも長く続けることを重点的に考えた方がいいな。いかに長く続けられるかを中心に考える。テキトーにする、細かくしないざっくばらんでいく。高い目標よりも続けられる対策を練る。的な。

 

 

 

まあでも一番は早く寝ろってやつですね